小谷城ふるさと祭り2010 [戦国]
いやぁ、一体どんだけ放置すんねん!って感じですが、不定期更新にも程があるぞぉ!
10月3日に小谷城の麓で行われたイベント「小谷城ふるさと祭り」に行ってきました。
今年で25回目という伝統のイベントです。
実は午前中しか見てません。と、言うのもお目当てが午前中に登場するからです。
毎年来て下さる、朝倉太鼓集団の皆さんの和太鼓演奏は迫力があります。
連打連打で腕がかなり辛いと思うんですが、楽しそうに叩いておられるのが印象的でした。
今回のお目当て・・・それは、こちらのお嬢さん方です。
歴者アーティスト さくらゆき のお二人。
初めてその歌を聞いたんですが、予想とは異なりパワフルなボイスでした。
特に最後に披露して下さった、浅井長政への想いが詰まった曲は聞いていて心が揺さぶられました。
彼女たちはこの後、「関ヶ原合戦410年祭」にも来られるとの事で、また聞きに行きたいと思います。
そしてもう御一人・・・
歴ドル 小日向えりさん
かわいい人ですね。歴史に詳しい先生とのトークで楽しませて頂きました。
この「小谷城ふるさと祭り」は地域色の強い手作りのイベントって感じなのですが、来年の大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」の影響もあり、戦国イベントといってもいい感じになっていました。
この祭りが来年どうなるのかが非常に楽しみです。
次回は「関ヶ原合戦410年祭」!
・・・・たぶん・・・
大河の恩恵 [戦国]
近江の国といえば、京の都に近く、戦国の世には多くの歴史的事件が起こった場所です。
現在の近江、滋賀県はどちらかと言うと地味な地域だと地元民も認める田舎なのですが、400年も前の人達の恩恵を今も受けまくっている稀な地域だと思います。
NHK大河ドラマに於いて、各都道府県が地元にゆかりのある人物を主人公にした誘致が盛んに行われています。NHKとしてはなるべく全国まんべんなく選定しているようですが、人物によっては、またこの地域が関係してるのか?という事もあるんですね。
滋賀県の北部はそういった意味で非常に大河ドラマの恩恵を受けている稀な地域です。
「おんな太閤記」「秀吉」の羽柴秀吉
「功名が辻」の山内一豊と千代
「天地人」の石田三成
この他にも度々湖北地方は物語の舞台となっているんですが、先日2011年の大河ドラマの主人公が決まりました。
近江北部の戦国武将、浅井長政と信長の妹お市との間に生まれた浅井三姉妹の三女、江(ごう)です。実は地元では何年か前から浅井三姉妹を題材とした大河誘致活動をしているのを知っていたのですが、こうも早く決まってしまうとは思いませんでした。
浅井三姉妹と言えば、茶々、初、江の三人で、時代の流れに翻弄されながらも各々が力強く生きた日本一有名な姉妹だと思います。(叶姉妹よりも!)
さすがに三人それぞれの物語となると、まとまりがつかないからか、江の視点からドラマが展開するようです。
現在地元では「天地人」直江兼続の盟友、石田三成のイベントが展開中ですが、再来年は三姉妹でまた盛り上がるのでしょう。
歴史上の人物には足を向けて寝られませんな・・・
賎ヶ岳に挑む [戦国]
クルル終了の報があってから、どうも記事の更新をする気が起きません。
でもダラダラとしてる内に、時期を逸してしまうのも何なので思い切って書くか!
大河ドラマ「天地人」
一応最初から欠かさず見てる訳ですが、どうもおかしい・・・
って言うかイライラする・・・
「私はもう泣きませぬ」
と妻夫木兼続は言いましたが、それから何度泣いた事か!
よだれを垂らしながら泣くシーンになると、なんとも嫌な気分になってしまいます。
もうちょっと、ビシッとして頂きたいものですな!
そんなオヨヨ・・・なドラマですが、先週見事に賎ヶ岳の合戦をスルーされて憤慨しております。
そもそも石田三成と直江兼続の交流は賎ヶ岳の合戦から始まったんですけどねぇ。
ま、いいや。NHKがやらんのやったら、俺がやる!
そんなこんなで賎ヶ岳。琵琶湖の北端に位置する標高422Mの山です。
リフトで山頂付近まで行けるのですが、リフトの料金をケチり、登山敢行です!
賎ヶ岳の登山コースは3つあり、一番距離が短い1.5キロコースを選択。
リフトのある麓とは逆の位置から登山開始です。
登山口に、木の枝で作った杖が置かれていて御自由にお使い下さい状態でしたが、ヤングメンな俺は当然杖なんぞには目もくれません。
人気は殆どなく、数分前に熊除けの鈴を付けた老夫婦が登って行ったっきり誰もいません。
快調に登山を楽しんでいましたが・・・・・・・・・・
キ・・・・・キツイな・・・・・・・
老夫婦の付けた鈴の音がどんどん遠くなっていく・・・
奴等・・・・・・・・俺より足腰丈夫!!
登った事を後悔したのは登山口からわずか400メーター地点だった。
あと、1kmもあるのか・・・・・
リフト使えばよかった・・・・・
ここ、賎ヶ岳には合戦の際、山を切り開いて作られた道が残されています。
その道こそ、秀吉の命を受け、石田三成が陣頭指揮を執り作った道なんです。
そんな歴史ロマンを感じる余裕など無く、早くも足はフラフラです。杖、貰っておけばよかった・・・
辺りは鳥の鳴き声と、自分の「ヒィ・・・フゥ・・・・」の情けない声が響きます。
あ、賎ヶ岳の合戦って何?って思ってる方に説明します。
本能寺でノブが殺られちゃったのは知ってるよね?
でね、誰がノブの跡を継ぐのか?っていう話になったんやけど、まずノブの昔からの家来だった柴田勝家っていうおっちゃんと、ノブを殺ったアケチ君を倒したヒデが「普通考えたら絶対俺やろ!」「そんなん俺に決まってるやん!」みたいになって
「やんのか!あぁ!?」
「いてもたるど、ボケが!」
という訳で、合戦が始まった訳でございます。
簡単ではございますが説明終わり!
ようやく山頂が近づいてきました。
ちょっとホッとして緊張感が解けた所に、この看板
出るのね・・・出てしまうのね・・・だって、山だもん。
このイラストみたいな熊じゃなくて、口からよだれを垂らしながら牙を剥き吼える姿を想像・・・
リフト使えば良かった・・・・・
山なので周りは当然自然がいっぱいなんですが、花の季節には早いようであまり咲いてはいませんでした。って言うか、杉と松だらけです。
つつじってあまり好きな花ではないんですけど、こんな山の中で見るとなかなかの魅力を感じます。虫って花びらも食べるんですね・・・
こういう苔の付いた朽木を見ると、心が落ち着きます。
・・・・・もう終わってるって事ですか?
さて、いよいよ山頂に到着~
したのはいいんですが、登った達成感よりも帰りが物凄く心配です。
俺の足腰、大丈夫かな・・・・・・・
続く
大阪城、舐めてました・・・ [戦国]
普通のサラリーマンらしく、ゴールデンウィークというものが手に入りましたので、ちょいと足を伸ばして大阪城に行く事にしました。
丁度、大阪城が収蔵している戦国合戦図屏風を一同に公開する「いくさ場の光景」という企画が開かれており、どうしても行きたかったんですな。
本当は家族で行こうと思ってたんですが、大ブーイングを受けまして・・・
理由は「あんたしか楽しくないやん」
よかろう・・・拙者が一人で参る!
大阪城は朝9時に開門となりますので、それに合わせて5時に起床。
6時過ぎの電車に地元駅から大阪へと向かいました。
誰や!ジジイいうてるのは!!言われんでもわかっとるわぃ!
大阪城公園駅に着いたのは開門まで後40分という余裕の時間。
お城までゆったりと朝の散歩とばかりにテクテク歩く。
歩く・・・・・
歩く・・・・・
歩く・・・・・
・・・・・・・・・・遠い・・
15分くらいでやっと城の近くまで辿り着きました。
大阪城っていうのは遠くからしか見た事がなかったんですが、いやぁ~・・・
でかい!!!
地元の長浜城や、隣の彦根城なんかがそのまま入ってしまうんじゃないかと思える程のでかさ。
さすが天下を取った秀吉が作った城だけの事はあります。
大坂城は夏の陣の際に火を放たれて落城しています。江戸時代に入り再建されましたが、落雷による火事や、太平洋戦争時の空襲で焼け落ちています。
ですので、築城時そのままの状態ではないのですが、その異様なまでの存在感には圧倒されっ放しでした。
入り口へ向かうと既に100人くらいが並んでました・・・
まだ9時前なのに・・・
自分も並んで待っていると、開城時間と同時に太鼓が・・・・
ドン・・・・ドン・・・・ドン・・・ドン・・ドン・ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドドドドドドド・・・ドン!
すげえ!!めっちゃ燃える!!
中に入りお目当ての屏風や貴重な資料を見て回る。さすがに大阪城、所蔵の濃さは半端じゃ無いっすね。歴史が好きなら絶対に一度は行かなあきまへん!
展示物には非常に満足したんですが、ただ一つ残念だったのは・・・
兜と陣羽織を着て写真が撮れる体験コーナーがあるんですが、おっさんが一人それを体験するのは非常に厳しいものがありまして・・・せめて誰かと一緒ならば出来たんですけどね。
幸村の兜・・・・・着けたかった・・・・・・・・・
体験コーナーに後ろ髪引かれる思いで城を出て、近くを散策。
大阪夏の陣で若き豊臣家の主、秀頼と母の淀殿は追い詰められ最期は自刃します。
淀殿こと、茶々は浅井家の姫です。父親を叔父に殺され、2度の落城を経験しながらも秀吉の側室として権力を手にしましたが、最後は無残な死を迎えました。
人はよく、淀がもう少し譲歩の姿勢を取っていれば豊臣は滅ぶ事は無かったのでは?と言いますが、元々気の強い姫の事、それは無理だったのでしょう。
茶々は下に2人の妹がいましたが、その2人によく言っていたのは、
「そなたらは気高き近江浅井の姫君なるぞ、恥ずかしい振る舞いはせぬように」
プライドの高さ故に滅びの道を辿る事になってしまったのですね。
ですが個人的には気の強い女の人は大好きです!(M!)
秀吉の時代からはすっかり変わってしまった大阪の城下町。
ですがここから秀吉も城下を眺めたのかと思うと、天下統一もいいもんだな、なんて思います。
(出来んくせに・・・)
北近江戦国浪漫フェスティバル [戦国]
寒い・・・・・・・・・
寒い・・・・・・・・・・・・・・・・
懐が・・・・・寒い!!
いつもの事ですので、スルーしてくだされ。
さてさて、今回は地元、滋賀県長浜市の観光PRをさせて頂きますにょ。
寒風吹きすさぶ中、鼻水垂らして行ってきたにょ。
いきなりですが、滋賀県出身の有名人と言えば!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界のナベアツ(安定)
ムーディー勝山(消えた)
田原総一郎(朝まで生?)
TMレボリューション(西川貴教とも言われる)
もう、思いつきません・・・・・・・・
ってな具合に地味なイメージの滋賀県ですが、昔は凄かったんだにょ~!
いっぱい有名な人がここから出たんだにょ~!
俺の好きな下着をいっぱい作ってる会社「ワコール」の創始者も滋賀県出身なんだにょ~!
それはさておき、地元出身の有名人で真っ先に思いつくのは、石田三成公であります。
地元長浜のヒーローです。
でも長浜は天下人、秀吉が初めて城持ち大名になった所で、今日に至るまで太閤様の恩恵を受けてきた事もあり、今まで秀吉一辺倒の観光PRで三成公の出番は無いに等しいものでした。
しかし!じっと我慢をしていた三成公に光が当たる時がようやくやってきました。
大河ドラマ「天地人」において、直江兼続の盟友として三成公が登場するのです。
そうなると観光の方も「今回は石田や!」となる訳です。
はっきり言わせて頂くと・・・
「大河ドラマに三成さん出るしぃ~ 今って戦国ブームやん? ・・・乗っかっちゃう?」
みたいな感じでイベントがスタートしたんです、してしまったんです!!
ここからはイベントには関係ない写真が続くにょ。(え?)
長浜城のある豊公園は、日本桜名所100選に選ばれていますが、まだまだ咲くのは先になりそうです。
そんな中でも枝垂れ桜だけがいい感じになっておりました。
戦国フェスティバルって言うのは、簡単に言えば石田三成とその仲間たちについてもっと知ってもらおう的な軽~い感じのお祭りです。
市内3箇所の会場でそれぞれテーマに沿った展示がありますが、長浜城歴史博物館以外の2箇所は三成公に関して知ってる人はちょっと物足りない感じではないかと思います。
知らない人にもっと三成公を知ってもらおう、みたいな色合いが濃いです。
ここ長浜は4月中頃に行われる曳山祭りが有名です。山車の上が舞台になっていて、そこで子供が歌舞伎を演じる珍しい祭りです。
曳山は普段専用の蔵に入っています。祭りの時には蔵から出て配置場所まで引かれるのですが、高さがあるので途中信号機に引っ掛かってしまいます。
そこで考えられた信号がこれ・・・
この信号機が、グィ~ンって動きます。グィ~ンって。
間違っても、グィングィンでもウィンウィンでもありません。
イベント会場の一つ、大通寺にあった偉い書家の先生が書いた「義」の文字。
恒例の今年の漢字は「義」でどうすか?大河ドラマの視聴率次第ですが。(あの子役に頼むか)
あ、そうそう・・・会場内は3箇所共、撮影禁止です。
・・・・・・・・・撮っちゃいました。ごめんなさい。
今、巷で言われている「歴女」(れきじょ)さんがかなり多く見られました。
と、言う事は俺は何度も行かねばならんという事ですな。
なんでや!と言われても行きます。行かねばならんのです。
マニアを自負される方はこちらがオススメ!
読めない手紙がいっぱい展示されてます。
また、4月の下旬からは、あの「直江状」(現存最古の写本)が展示予定!!
こりゃまた行くしかないにょー!
ノブちゃんの墓 [戦国]
昔々、ある所に何でも自分の思い通りにしたがるノブちゃんがいたのね。
んで、自分に逆らう人はボッコボコにしちゃうわけ。
そんなノブちゃんだけど、理想は高くて言う事もでかいもんだから、ある意味皆の憧れ的存在だったけど、皆本当は怖かったんよね。
逆らうと何されるかわからんもんね。
ある日、ノブちゃんの舎弟の中でも実力のあるミッちゃんが、ノブちゃんの寝込みを襲ったんよ。
ノブちゃんはまさかミッちゃんが襲ってくるなんて思わなかったんで、結局やられ放題やられて、死んじゃったんだ。
その後、ミッちゃんは同じノブちゃんの舎弟のヒデに敵討ちに遭うんだけど、ノブちゃんの死から歴史が大きく動いていった、っていう話よ。
おそらく日本の歴史上、最も有名な寺ではないかと思います。
京都の繁華街、河原町に程近い場所に建ってますので「うそ・・・、あの本能寺?」なんて思うかもしれません。
この門をくぐると寺の関係者用でしょうか、立体駐車場が出迎えてくれます。寺らしくない所がまた、信長チックだったり・・・
誠に残念ながら本堂はご覧の通りでした。
奥へと進むと・・・
変わった瓦ですね。桃ですよ、桃。
晴明神社にも厄除けの桃が置いてました。桃は悪い気を払い除けるアイテムなんですね。
こんな面白い瓦は初めて見ました。
ノブちゃん・・・いや、織田信長公の墓です。
正直申しますと、信長の事はあまり好きじゃないんですよね。
いい話はあるんですが、やっぱり比叡山延暦寺の容赦無い焼き討ちのイメージが強すぎて・・・
でもここまで来たら賽銭だして拝んでおかないと何かが起こりそうなので、10円出しました。
やり方は強引かもしれませんが、今の時代、信長のような人が必要なのかもしれませんね。
我が家が本陣 [戦国]
以前、関ヶ原に行った時に様々な武将の軍旗が立っていたのを見て、無性に欲しい!と思い彦根にある、戦国グッズ店「戦国丸」で石田三成の軍旗を買いました。
長さ180cmもある本格的なサイズですが、旗のみで竿(ポール)は付いてなかったんです。
壁に画鋲で留めたりしてみても良かったんですが、やはり旗は旗らしくしたいと思い、ホームセンターを見て回ったりしたんですが、あるにはあるけど商売用のプラ製品しかなかった訳です。
「大売出し」の旗って訳じゃなくて戦国時代のものですから、素材は竹でしょう!という思いがあった為、自作する事にしました。
河川敷に自生してる竹を切り出して適当な長さに切り、穴を開けたり紐を通したり・・・
実物を見た事がなく、こんな感じでしょうかね?的な作りですが、何とか出来上がり、竿に旗を通し、立ててみるとこれがまた・・・ええ感じやないか~ぃ!
竹の青々とした感じに違和感を感じるものの、やっぱり旗はこうでなきゃ!
玄関脇に立てて三成本陣を味わっておりましたが、買い物から帰ってきた嫁に即時撤去を命じられました。
何故だ!!
大谷吉継 [戦国]
合戦祭りの最後の記事として、甲冑武者行列の事を書こうとしましたが、祭りから1週間経過しており、タイムリーではない為に武者行列記事は中止にしましたぜ。
戦国記事が続いているので、少々クドイかとは思いますがこれは書いておきたいな・・・と思いましたのでもう一丁戦国関係で行かせて頂きますね。
大谷刑部吉継(おおたにぎょうぶよしつぐ)
歴史が好きな人なら知っている武将ですが、一般的にはあまり知られてはいない人です。
幼少より羽柴秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いや九州攻めによる功績で敦賀城を与えられます。
戦国大名として順風満帆のはずでしたが、20代中頃ひどい皮膚病(ハンセン病)に冒されてしまいます。
日増しに病状が悪化して行き、秀吉に引退を申し出ますが逆に励まされ、秀吉に対する恩義を忘れまいと誓います。
ある日、秀吉の家臣が集まり茶会が開かれ、大きな椀に茶を入れて家臣で回し飲みをする事になりました。
吉継も回ってきた茶を飲みましたが、後の者は病気が感染するのを恐れ飲むふりをするばかりでした。この光景に吉継はひどく傷つきます。
そんな時、石田三成が自分が飲む順番ではないのに椀を取り、「喉が渇いたので先に貰う」と言い茶を飲み干したのです。そして吉継に気軽に話しかけてきたそうです。
吉継は三成の、人を気遣う気持ちに深く感謝し、その後2人は強い友情で結ばれていきます。
吉継は太閤秀吉の死後、急速に力を伸ばす徳川家康の傘下に入ります。
米沢では上杉家が豊臣政権に対し謀反の疑いがあるとされ、直江兼続による家康に対する挑戦状、いわゆる「直江状」の件もあり、家康は上杉征伐に向かいます。
吉継もこれに参加する為、兵を率い敦賀城を出ます。
途中、近江佐和山城に立ち寄り三成に面会するのですが、三成から家康を討つ決意を聞かされます。
吉継は家康の力を良く知っています。絶対に勝ち目は無いと再三に渡って三成を説得しますが、豊臣政権を何としてでも守ろうとする一途な思いに負け、三成と共に戦う事を決意します。
たとえそれが負け戦であろうとも。
関ヶ原合戦祭りに行ってきた! ② [戦国]
今回の祭りのメインとなるのは、本物の役者さん、全国から公募で選ばれた人、地元の人が共に甲冑を身に付けて、秀吉の死から三成の斬首までを劇として公開するというものです。
笹尾山会場では東軍西軍各隊が鎧を纏い、劇のリハーサルを兼ねて模擬戦闘も行われました。
まずは、各隊の凛々しい姿をば!
我等が主君、石田三成公と家臣たち。
中央の三成公が着けている兜は史実に基づくものです。かっこいいですぅ~
島左近隊の皆さん。
「左近さ~ん」と声を掛けるとキリッとした表情で応えて頂きました。
こちらは大谷吉継隊。白い頭巾を被っているのには理由がありますが、その話はまたの機会に・・・
因みに記念撮影タイムで一番人気でした。
薩摩の名将、島津義弘と甥の豊久。
隣の大谷隊の人気ぶりが羨ましいらしい・・・
あ・・・もう一つ、蒲生隊を撮るのを忘れてた・・・
撮影タイムが終わると、模擬戦が行われます。
と、言っても劇のリハーサルと練習を兼ねてますので、真剣勝負というわけではありませんが・・・
ちょっと工夫してスローシャッターで撮ってみました。合戦の雰囲気出てますか?
こんなに激しい感じじゃなく、笑いあり、笑いあり、笑いありの模擬戦でした。
後は劇を上演する、最初の講演会のあった建物の前の広場に移動です。
次回は全軍武者行列の巻でござる
関ヶ原合戦祭りに行ってきた!① [戦国]
関ヶ原町制80周年記念として、「関ヶ原合戦祭り」が18、19日の2日間開催されました。
仕事の都合で19日、一日だけ行ってきたにょ~
レポートするにょ~
さすが古戦場の町、町役場も戦国一色に彩られています。
今回の祭りのテーマはズバリ、石田三成!
関ヶ原の合戦で敗北を喫し、その後の歴史において悪人、奸臣(よこしまな考えを持つ者)とされてきた三成。しかしそれは勝者、徳川によって作られた姿だったのです。
最近の研究により、三成の本当の姿がわかってきました。
そんな訳で今、時代は三成なのです!
まずは今回の最大の目的(早くも)である、講演会会場へと向かいます。
「義の人・石田三成」と題し、静岡大学教授の小和田哲男氏による講演があるのです。
小和田先生はNHK「その時歴史が動いた」のゲストや、来年の大河ドラマ「天地人」の時代考証を担当される有名な先生なんです。
そんな方の講演を聴く機会というのはなかなかありませんから、非常に楽しみにしてました。
会場は250席ほどあったでしょうか。満席で立ち見が出るほどでした。
三成が何故、家康との勝負に出たのか。秀吉にとって三成がどれ程大事な存在であったか、三成と家康の思いの根底は同じものだった等、本当に面白い講演でした。
ま、中には寝てる人もおられましたが・・・先生の話=ラリホーの呪文となるのは仕方の無い事なのかもしれませんね。
1時間の講演の後、メイン会場となっている三成陣地跡のある笹尾山に向かいます。
シャトルバスも運行してましたが、バス待ちの人数が多く歩いて向かった方が得策だと思い、15分のウォーキングです。
11時からは火縄銃鉄砲隊の演舞があったのですが、講演が終わるのが11時ではどうしても間に合いません。次回はこの辺りのタイムテーブルを何とか考えて欲しいものです・・・
真田流鉄砲隊の方々。女性が凛々しく、可愛いです。
こうして気軽に写真撮影に応じて下さるので、笹尾山会場はほぼ全編に渡って撮影会場となってました。
全国の戦国グッズ店が一堂に会したショップエリアをぶらつき、彦根の「しょうぶ屋」さんの真田幸村Tシャツを購入。すっげぇかっこいいっす!冬でも着るっす!
あ、彦根ならいつでも行けるんですけどね・・・
ショップの前をうろついてると、着ぐるみキャラ発見!
背中には北近江の大名、浅井の家紋が入っている。って事は・・・
つい先日デビューした「茶々姫」じゃありませんか!なかなか可愛いぞ!
ゆるキャラ及び、浅井好きの自分は年甲斐もなく舞い上がってしまい・・・
付き添いの係りの人に撮ってもらうという暴挙。
おまえは子供かー!! というツッコミは甘んじて受けようぞ!
この後、彼等も現れ・・・
いしだみつにゃん、しまさこにゃん
ゆるキャラの横綱、「ひこにゃん」の敵キャラとして生まれた「しまさこにゃん」
そして主君、三成の生まれ変わりとされている「いしだみつにゃん」
コイツら、かなりの芸達者です。
そうこうしていると腹も減ります。しかしながらTシャツを買ってしまった為にお小遣いが月末までもつかどうか怪しくなってきましたので、あまり高い昼食は取れません。
お弁当も売ってましたが、戦国陣中鍋というのがあり、一杯200円。これにすべし!
えのき、まいたけ、しめじ、豆腐、鶏肉、人参が入った汁物です。
見かけよりもボリュームがあって、これで200円とは・・・恐れ入った!
味も美味しかったです。
さて、次回はいよいよ甲冑に身を包んだ武者の登場!
・・・次回、早めにアップできるよう頑張ります・・